歌舞伎では人の道を「親子は一世、夫婦は二世、主従は三世」と説いています。これはそれらの人間関係が競合した際の優先順位を数字で示しています。「①親子」→「②夫婦」→「③主従」と次第に血縁・肉体関係が薄くなる程、優先するのが人の道という訳です。
①「双蝶々曲輪日記」8段目:「引窓」では力士-濡髪長五郎が人を殺し、母お幸が後家として嫁いだ先に逃げてきますが、この家の嫡男-南与兵衛は郷代官=取り方で、お尋ね者-濡髪長五郎を探索する役目となります。
母お幸は実子の濡髪長五郎を助ける立場と、義理の嫡男-南与兵衛に手柄を立てさせる立場が競合しますが、上記の優先関係から後者の立場が人の道と、息子を説得し縄を打った所へ嫡男-南与兵衛が帰宅し、天井の「引窓」を開け満月の光が差し込むので「夜が明けた」と自分の分担(日没から夜明け迄)は終わったといって、濡髪長五郎を逃がします。 →実子と養継子の関係に、建て前と本音がからんで想定外の結果に進む芝居の筋になっています。
②「御所桜堀川夜討」3段目:[弁慶上使]では義経・頼朝の不仲から、平時忠の娘である義経の正室の首-受取の上使となった弁慶が主である義経の館に赴きます。弁慶は義経の正室を殺すことはできないので、正室に似ている腰元-信夫を身代わりにと信夫の母:おわさに頼みます。
おわさは娘-信夫は若い時に行きずりにお寺の稚児と一晩契った時の子で、その父親に会わせるまでは死なせる訳にはいかないと断り、契った時の相手の小袖の切れ端を弁慶に見せます。 その直後、弁慶は信夫を突然突き殺しますので、おわさが弁慶を問い詰めると小袖の残り半分を示し、信夫は自分の娘であることを証明します。
→主従と親子の関係に、弁慶の意外な過去の事実が示され芝居の筋になっています。
このように人の道だけでは教科書通りでお客に入場料を払わせる芝居になりませんので、それを意外性でストーリーを展開させお客を引き付けていくのはオペラも同じで、洋の東西を問わず芝居の面白さではないでしょうか。しかし日本の芝居では、人の道がストーリーの基礎=建て前で、個別事情は当人の本音という展開のユニークさがあると思います。
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原 (木曜日, 16 5月 2013 12:12)
歌舞伎は、年に数回友達と行っています。友達が会員で、チケットを取ってくれます。
現実と違った空間に入り込めるのが好きです。また、話も深く面白いです。衣装も見事で素晴らしいです。